指さえも

最近は休日でも昼まで寝ていることはなく、洗濯をした後、久しぶりにピアノを弾いてみた。初めはバッハのインベンションからポロポロ弾いていたのだが、サティのジムノペティに挑戦してみようと楽譜と格闘する。

昔ピアノを習っていた頃は楽譜読むのは苦手で耳で聴いてから弾いていた。ただそれは直してくれる先生がいるからできるのであって、楽譜は読めないよりは読めた方がいいと思う。

少しずつ自分の音とイメージが重なるごとに楽しくなるのだが、色々邪魔が入ってきて中断してしまう。

以前ピアノ弾いていたら買い物から帰ってきた父になぜピアノを弾くのかと聞かれた。弾きたいから弾いているだけなのだが父の前でピアノを弾くのがなんとなく疚しい気持ちが昔からあった。父は音楽を聴くのが仕事だから、私が曲を自分のものにするまでゆっくり練習すると「そこはテンポがもっと速いだろう」「運指が違う」(私は指が短いから仕方ないんだけど)などと言うのでやりにくく、父のいない時間に弾くようにしていたが、今でも父の前でピアノを弾くのはなんとなく避けている。

だからピアノを弾く時はだいたい一人で家にいる時が多い。特にバッハはちょっと聴いただけでは単純なフレーズの連なりの中でその時の自分の内面というものが音に反映されてくる。音を繊細に出そうと無心になって指先に神経を注ぐ時もあれば、とりあえず指ならしでながら弾きをする時もある。

私は「Dr.HOUSE」のグレゴリー・ハウスの部屋が好きで、あんな部屋に住んでみたいと思うのだが、部屋の真ん中にグランドピアノが置いてある。ハウスは時折弾いているのが良くて、実際ハウスを演じているヒュー・ローリーが弾いていてすごく上手い。

私はピアノが下手だけど昔からの習慣で今でも爪を伸ばすことなく短く切り、マニキュアをしない。

先日化粧品メーカーに勤めている友人がたくさん試供品を持ってきてくれた。マニキュアは使わないと言ったが、ペディキュアとして足の爪に塗っても良かったかもしれないと思った。

今日は指がらみということでBGMは小沢健二の「指さえも」。昔オザケンの武道館ライブに行って会場が一体になって「ラブリー」を歌っていたのを思い出す。たしか「指さえも」もこの時に初めて新曲として披露されたと思う。この曲は地味なラブソングだけど、指というものに視点を置く感覚は鋭い。

指さえも 小沢健二


オザケンの書く詩には言魂が宿っていた。何年も前に久しぶりに発売されたアルバムは音楽の実験はしていたが、言魂が感じられなかった。あの言魂こそが多くの人を惹きつけていた要素だったと思う。


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