音楽家を悼む

6年前の今日私たちは新潟で行われるあるイベントの準備をしていた。私はある批評家と一緒に後から新幹線で合流するはずだったが、彼はイベントを楽しみにしていたものの体調不良で行けなくなったのを残念だと嘆いていた。

そんな矢先にイベントの企画者から連絡があり、そのイベントに出演する予定だったミュージシャンが亡くなったことを聞いた。そのことをスタッフには内緒にしてくれ、ただし某編集者には連絡してくれないかと頼まれた。

そもそもこのイベントも音楽批評家AAの命日にAAのご母堂が長年経営していた店をたたんだのを機にAAゆかりのミュージシャンが集まり、かつて演奏した思い出の地で昔の仲間が再会して行うライブイベントだった。

私は編集者に連絡したのだが、私の携帯にAAやそのイベントに一番批判的な某音楽批評家から連絡があって詳細を聞きたいと言ってきたのだが、私もそれ以上知らないから答えようがないのだが、そんな私に音楽批評家はキレて「人が一人亡くなっているのに音楽ライブどころではないだろう!」と怒鳴った。

この人は生前はそのミュージシャンから距離を置いていたから、そのミュージシャンの近況を知らずに私ごとき人間に電話をかけてきた訳であって、そんな薄情な人が偽善者面してでしゃばって偉そうにしているのが私は不快だった。

フリージャズミュージシャンが亡くなったからこそ、彼のために演奏すること以外にその人を悼む最善の方法はないだろう。自分が散々フリージャズのイベントを企画してきてそんなこともわからないのだろうかと思ったものの、私は知っていることだけ慇懃に答えただけなので、向こうは無礼に電話を切った。

私はやや恨みがましく編集者にあなたが言ったのでしょうとお節介をやんわりと批難したが、このことは誰にも言わなかった。イベントの主催者も私もライブイベントをやることしかそのミュージシャンの餞にはならないとわかっていたからだ。

翌日後発隊の車で私は北に向かった。上越自動車道は川端康成の小説ではないがトンネルを越えると一面雪しかなくて前から雪風が叩きつけてくる。

その日は車酔いと昨日の音楽批評家の態度とある一人のスタッフのバカさ加減と生理中なのに長旅でトイレに行けない苛立ちで不快指数は相当高まっていた。

とりあえずイベントの主催者は私に軽く挨拶した。私も軽い会釈をし、口数少なに言葉を交わした。私が言わなくても彼は多分私の気持ちを理解していたと思う。そこで私の張りつめていた緊張がようやく解きほぐされた気がした。

そんなことを思い出したのは6年後の今、私は出張で西に移動していて、やはり生理中で新幹線の轟音が車を叩きつける雪風のように耳障りだったからである。

そしてなんとなく眠る気にもなれず、退屈しのぎに買ったマンガを読む気にもなれず、もう暗くなった窓の外をぼんやり見ながら6年前の今日を思い出していた。

そう、6年前一人のフリージャズミュージシャンが亡くなり、七回忌を迎えたのだ。

私は体験としての記憶を重要視している。ましてフリージャズというのは瞬間に生まれる音楽だから、そういった音の記憶を私は死ぬ時までにちゃんと覚えていられるだろうか。多分そうすることでしか音楽家を悼む術を私は知らない。もちろん録音されているものなら何度も繰り返し聴くことはできるけれど。

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